つうさんのこと②
つうさんは、旧材木問屋で大工の棟梁の家に、昭和15年、10人兄弟の8番目、三男として、生まれました❗️
戦争中ですが、比較てき食べ物に困る事もなく見習いの人や子守だけをする人なども、一緒に住んでいた様です☝️
昭和元年生まれの長女は、つうさんが小学生になる頃には、地元の小学校の先生になっていました😊(下の兄弟達は、受け持つて貰った事があるらしく、頭があがりません)
つうさんが、中学生になる頃、大黒柱である父が亡くなります❗️
そして、今迄の裕福な生活は、出来なくなり、10人兄弟達は、大変な苦労が始まりました👀
幸い上の姉達は、結婚したりしていました。
沢山あった土地を売って、つうさん以外の全員が高校卒業する事が出来たそうです。
今もその土地あったら大金持ちかも😏
つうさんは、おとなしく少しぼんやりしたタイプだったそうです❗️
2歳ずつ違う兄達かは、ぼんやりさんな、つうさんの事。よく注意していた様です😅
つうさんは、中学を卒業してすぐ、働くことになります☝️
物凄く勉強が嫌いだったみたいです😳
姉の結婚相手の呉服屋さんや、父が生きていた頃お世話になったところ等等。
辞めるとすぐ姉たちが、就職先をお世話ていたようです❗️
でも、つうさん、中々お仕事が続か無かったのです😅
今とは違い、住込みの雑用係の様な仕事が多かったみたいで、ぼんやりさんなので、どこへ行っても雇主にキツく当たられていた、つうさんは、雇い先を逃げ出してしまいました😱…当時15、6の子供❗️
(かわいそうに😭 私も「あの家の子供なのに、出来無いなんて…」って言われる事しばしばでした😫)
皆んな、そのうち帰っくるだろうと…
高を括っていました💦
その間、兄の所に1回現れた様です❗️
それも、40年ぐらい前❗️
15年ぐらい前に、姉達が探して回ったけど、見つからず💦
勝手にお葬式されちゃって、位牌まで😅
叔母達が勝手に供養しているのが、滑稽だった事、覚えています😆
「大変やったなあ、よう、頑張っだなあ」
などと声をかけている所を見ると、可愛い弟だったんだろうなあ〜と思います😊
この時、生きてた訳ですが…😅😅😅
逃げ出してから、60年後の先日、骨になって帰ってこられました💀
長〜い家出です😅😅😅
その間、どんな生活をしていたのだろう🤔
お帰りなさいませ🙇🏻♀️つうさん🤗
続く。
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